風の谷のナウシカ雑学・名言完全ガイド

スタジオジブリの名作、風の谷のナウシカの雑学・名言集です。

墓所の主は何のメタファーか

ナウシカへの評価は、 結局、そこにどういうメタファーを感じ取るか、 つまり、身の回りのどういう問題に 対応させて理解するか次第だと思います。
だから、究極的には人それぞれの解釈ということになるわけですが、当時の時代状況を踏まえて「一般的な解釈」というのは存在すると思います。

そういう意味からすると、「墓所の主」の発想は、一言で言えば、世界をある一つの視点でのみ理解して、それに反するものは排除していくという発想と言えるでしょう。
これは、決してナウシカの物語の中だけの問題ではなく、現実の社会のさまざまな問題と重なっています。

おそらく、作者が想定したのは、直接的には、マルクス主義的なユートピア思想(マルクス主義革命によってユートピアが訪れると考える)や、科学技術絶対論(科学技術こそが人間を幸せにする)のようなものだったと思いますが、他のさまざまな問題にも言えることです。
特に、論理主義(全てを論理的に理解できるものと考える)、規約主義(「~しなければいけない」という規約で、正義や道徳が説明できると考える)は、現代社会の多くの問題の根底にある大きな問題と言えるでしょう。

このことは、ナウシカが「墓所の主」に向けて言ったセリフ「(お前は)神というわけだ お前は千年の昔 沢山つくられた神の中のひとつなんだ そして千年の間に 肉腫と汚物だらけになってしまった」「浄化の神としてつくられたために 生きるとは何か知ることもなく もっともみにくい者になってしまった」からも読み取れます。
この方面の議論に疎い人はピンと来ないと思いますが、「神の視点」という言葉は、論理主義や規約主義のような立場を批判的にとらえるときに、好んで使われる言葉だからです。

これは、ナウシカのストーリー全体で、「多神教」の宗教が肯定的に取り上げられていることも関係しています。
キリスト教やユダヤ教の神は「たった一つの神」であり、哲学・思想の分野では、しばしば、論理主義や規約主義のように、自分に当てはまらないものを排除していくことの譬えとして使われます。
これに対し、多神教的な神(ギリシャ神話もそうだし、日本の神もそう)は、そうではないとされます。「私達の神は 一枚の葉や一匹のムシにすら宿っているからだ」「私たちの身体(からだ)が人工で作り替えられていても 私達の生命は私達のものだ 生命は生命の力で生きている」とナウシカが言っているように、論理的に見たら、さまざまな矛盾を抱えている「生命」の営みを肯定するものなのです。

ナウシカの世界の「墓所の主」と異なり、現実の「墓所の主」(世界をある一つの視点でのみとらえて、それに反するものは排除していくという発想、たとえば科学主義や論理主義)は、ナウシカの「墓所の主」ほど、発達していないし、現在の人類を絶滅させて「憎しみのない人間」に置き換えるほどの技術も持ち合わせていないわけですが、それにもかかわらず、「墓所の主」のように奢り高ぶっている。
それが、ナウシカを通して批判されている現実の問題なのです。