風の谷のナウシカ雑学・名言完全ガイド

スタジオジブリの名作、風の谷のナウシカの雑学・名言集です。

ナウシカの葛藤

「生き物を殺すことは許されない」
→だから墓所の主を殺すのも間違っている


「自分が正しいと思うことを一方的に突き通す姿勢は間違っている」
「もっと矛盾を受け入れて生きていくことが必要」
→だから、墓所の主も受け入れないといけない


こういってナウシカに批判的な人は、いろんな意味で「読み違い」をしているのではないかと思います。「いろんな意味で」というのは、ナウシカのストーリーに対する読み違いと同時に、現実の社会に対する読み違いという意味です。

なぜなら、ナウシカは、まさにそういう問題を踏まえ、そのために墓所の主を破壊するという行動に出たからです。
ナウシカ、「生き物を殺すことは許されない」と思ったからこそ、生き物を手段として使う墓所の主を破壊しようとしたわけだし、「自分が正しいと思うことを一方的に突き通す姿勢は間違っている」「もっと矛盾を受け入れて生きていくことが必要」だからこそ、矛盾を受け入れない墓所の主を破壊しようとしたのです。

しかし、勘の良い人はすでに気づいたと思いますが、このことは、ナウシカが、ある深刻な葛藤に置かれていたということを示しています。
それは、「矛盾を受け入れないといけない」と言いつつ、そのために「墓所の主」という矛盾は否定せざるをえないという葛藤、また、「さまざまな考え方を受け入れないといけない」と言いつつ、「墓所の主」は否定せざるをえないという葛藤、「生命の尊重」と言っておきながら、墓所の主を殺さざるをえないという葛藤です。

これは、次の3点にまとめることができるでしょう。

・生き物を殺すことは許されない」というとき、もし、生き物を何かの手段として平気で殺して、絶滅させてしまおうというような存在(考え方)があったとき、それにどう立ち向かっていけば良いのか?
・「自分が正しいと思うことを一方的に突き通してはいけない」というとき、自分が正しいと思うことを一方的に突き通して、そのために、現在生きている生命をも絶滅させようという存在(考え方)に出会ったとき、それにどう立ち向かっていけば良いのか?
・「矛盾を受け入れて生きていくことが必要」というとき、世界から、一切の矛盾を否定して、矛盾を撲滅しようという存在(考え方)、そのために現在生きている生き物を絶滅させようという存在(考え方)にどのように立ち向かっていけば良いのか?


これはいずれも、「相対主義のパラドックス」と言われている問題であり、現代思想の根底にもあると言える非常に大きな問題でもあるのです。
ナウシカはこの大きな問題に真正面から取り組んだと言うことができます。

実際、「ナウシカの葛藤」は、物語の中で、かなり意識的に取り上げられています。
たとえば、ナウシカは、戦争の原因となっている「怒り=自分の考えを一方的に押し通す力」に批判的であるにもかかわらず、「怒り」による世界の支配に立ち向かうためには、自分自身も怒りを持たないことを意識するという葛藤が繰り返し出てきます。
また、最後に、「墓所の主の血はオームより青かった」、つまり「墓所の主も同じ生命であった」ということが分かるシーンがあるのも、「ナウシカの葛藤」を象徴的に表す出来事と言えるでしょう。
これは、現実の世界で、「墓所の主」のような考え方、思想、宗教と闘おうとすると、結局、生身の人間を否定せずにはいられないということと対応しているのです。

では、ナウシカは、こうした葛藤をどのように克服したのでしょうか。実はナウシカは、「ナウシカの葛藤」を克服などしていません。
むしろそこでは、こうした葛藤を避けて矛盾を排除するような考え方(論理主義的な思考)が、「墓所の主」に象徴されるものとして、批判されているのです。

たとえば、ナウシカでは「生命の尊重」がテーマになっています。しかし、そこで言われているのは「生命を殺してはいけない」という規約・戒律(倫理原則)ではありません。
私たちは、ともすると「生命の尊重」を「生命を殺してはいけない」という規約・戒律(=墓所の主のような発想)で理解してしまうわけですが、ナウシカで表現されているのは、「倫理原則=矛盾の排除」となる前の、もっと原初的な「生命の尊重」なのです。ナウシカでは、ムシ使い達が、ムシの卵を食べたり、ムシを殺したりするシーンがあると思いますが、森はこれを受け入れているというのが、その例でしょう。

ナウシカの行為を矛盾しているという人がいるかもしれませんが、ナウシカは、そういった葛藤を受け入れて生きていく生き方を選択したという意味で、実は全く矛盾していないのです。「相対主義のパラドックス」は「墓所の主」のように論理的に、一面的にものごとを理解する立場からは簡単には解決することができません。しかし、ナウシカは「生きること」に注目することで、「相対主義のパラドックス」を乗り越えているのです。