風の谷のナウシカ雑学・名言完全ガイド

スタジオジブリの名作、風の谷のナウシカの雑学・名言集です。

ナウシカの葛藤

このことは、ナウシカのもう一つのテーマである「虚無」とも深く関係しています。

墓所の主はナウシカを批判して「虚無だ!!それは虚無だ お前は危険な闇だ 生命は光だ!!」と言います。
これに対してナウシカは反論します。「違う いのちは闇の中のまたたく光だ!!」「すべては闇から生まれ闇に帰る お前達も闇に帰るが良い!!」。
ナウシカは、「虚無」を肯定するのです。

知らない人が見ると何を言っているのか分からないと思いますが、これはいわゆる「虚無主義(ニヒリズム)」の問題そのものです。
ニヒリズムというと、通俗的には「すべての価値を否定して絶望の中に生きる生き方」という意味で使われる場合が多いと思いますが、これは本来の意味ではありません。
ニーチェの言う(本来の)ニヒリズムは端的に言えば、「自分の生きる価値が何ものかによって与えられる否定して、生きるこのそのものを肯定していく生き方」ということです。
両者を区別する場合は、前者の生きることに絶望するようなニヒリズムを「受動的ニヒリズム」、後者の生きることそのものを肯定するようなニヒリズムを「能動的ニヒリズム」と呼びます。
これを前提にして考えると、ナウシカは途中まで、「受動的ニヒリズム」に悩まされるが、墓所の主と対峙するに至って、「能動的ニヒリズム」に目覚めるというストーリーになっているということが分かるでしょう。
物語の途中で繰り返し、ナウシカが「虚無」に悩まされるシーンが出現するのは、ナウシカが能動的ニヒリズムに目覚めるためのプロセスなのです。

ニヒリズムの特徴は、「何か別のものによって、自分の価値が決められる」ということを否定するということです。ニーチェは、ニヒリズムを、「苦しみに耐える」ようなキリスト教道徳の否定という形で象徴的に表現しました。
「私達の生が、キリスト教の神によって初めて価値づけられる」というキリスト教道徳に対し、「(神がいなくても)生きることそのものが肯定される」というのがニーチェのニヒリズムなのです。これは、ナウシカが「墓所の主=神」を破壊しようとした、根本的な問題意識でもあるでしょう。
ただ、ニヒリズムは、「神の否定」だけを意味するわけではありません。「論理主義な考え方(矛盾を排除するような考え方)を基準に自分の価値を決める」生き方に対して、「生きていく上での喜び、苦しみ、そこからくる葛藤を、そのまま肯定していこうよ」というのもニヒリズムです。ナウシカにおいて、墓所の主=神というのはあくまでメタファーであり、現実社会に当てはめれば、こうした「(社会の矛盾の源泉となっている)論理主義的な発想の否定」という側面が大きいのではないかと思います。

つまり、ナウシカは、墓所の主のように論理主義的な考え方によって初めて人間の価値が見いだされるような生き方を拒否し、「自分の生そのものを肯定する」「自分の中の葛藤もそのまま受け入れていく」能動的ニヒリスト、ニーチェの言う「超人」としての道を選んだわけです。

余談ですが、ニーチェのニヒリズムは、「他者と同じであることに価値を置く」ことの否定でもあるので、「個人主義」との関連で理解されることが多いようです。ただ、ニヒリズムを「個人主義」というのは、かなり誤解を招く表現です。
なぜなら、ニヒリズムを「個人主義」と言ったとしても、周囲の人のことを考えないわがままな生き方を指すのではないからです。能動的ニヒリズムは、自分が生きていくことによって、周囲の人の素晴らしさ、人間関係の大切さを見いだすということも含むのであり、通俗的な意味での「個人主義」とは大きく違います。
ニヒリズム=通俗的な個人主義と考えるのは誤りだし、これを基準にナウシカの「虚無」の概念を理解してはいけないのです。